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2003 - November


メトロポリスは面白かった。
 2003/11/02 - Sat  [今更論文]

今更って感じですけど、アストロボーイ・鉄腕アトムが放送してますよね、毎週見てます。
正直私自身、手塚治虫という人物には全く興味がない人間だったんですよ。せいぜいブラックジャック程度で。興味がないという訳で、嫌いでも好きでもない、要はどうでもいいって感じだったんです。
理由は簡単なものでして、手恷≠フ時代を駆けてきた者ではない私にとって、「絵柄が嫌い。」というだけです。故にアトムといっても「人間の知能を持った凄いロボットが平和を守る。」程度としか認識してませんでした。
でもって、気まぐれでアトムのアニメを見始めてみたんですけども、ふと気付いた事がありました。これは、子供向けのアニメなのか、と。そこで初めて手塚治虫という人物に興味が湧いてきまして、色々と漁り始めました。

手塚治虫という人物をゼロから知っていく過程、驚愕しました。ブラックジャック=無免許医の話だろ、アトム=知能を持った凄いロボットでしょ、ジャングル大帝=白いライオンの話したっけ、という程度の認識しかしていなかった私にとって、手塚治虫という人物の思考回路は、ただただ驚愕するだけでした。

何が驚いたのかのと言いますと、知るに連れ、アトムなんかはお茶の間を賑やかすロボットヒーローだろと思っていたのが一変して、何でこんなモノが人気作品になってんだと思わざるを得なかったからです。
それは、つまらないのに何故人気があるんだという意味ではありません。こんなおぞましいテーマを抱えたアニメが何故に一般アニメ扱いなんだという意味です。
簡単に例えるなら、サザエさん世代を問わずにお茶の間を賑やかすのはともかく、エヴァンゲリオンがそうであっては異常でしょう。

アトムという作品は、人間の汚い部分を強調して表現された、エゴの塊のような作品です。
自ら生み出したロボットという命の無い機械に感情を与え、決して人間を越える事のない権限のみを与え、人間に従うべく存在、人間の役に立つべくして生ませた存在、故に人間以下、消費物として存在します。ロボットは人間の言葉を話します、しかしそれは、プログラミングされたに過ぎません、命はないのです、故に人権という物は存在しないのです。
しかしながら手塚治虫氏の描くロボットは、非常に人間くさい存在なのです。人工頭脳を搭載していてもしていなくても、非常に人間くさく描写されています。そして、使い古し見捨てられたロボット、意味もなく破壊されたロボットは言うのです。「我々ロボットとは、一体何なんだろう。」と。

そして、人工知能を持った最新鋭のロボットであるアトムが生まれます。
彼は100万馬力を怪力を持ち、人間と同等に考え、そして成長するロボットです。しかし、いくら人間と同じく考え成長するロボットであっても、命のない機械に変わりはありません。人々の全員が、彼を「ロボットである」のいう事実を見据え、人間以下の存在と位置づけようとします。
そしてアトムは一部の人々に言われ続けます。「所詮はロボットだ。」「人間ぶって気持ち悪い」と。しかし、彼の中には悪という感情はありません。自分人間以下という認識で接してくる者達に、決して逆らったりしません。そして、常に人間の見方をし、一度事件が起きると身をていして平和を守ろうとします。
彼は決して人間を拒絶しません、そして日に日に人間に近い存在となっていくのです。アトムの世界では、卑劣で汚い人間が沢山登場してきます。人を騙し、欺き、傷付ける。アトムの新の生みの親である天満博士は、見切りを付けた人間社会を害して、ロボット社会を作ろうとまで画策しています。
そんな中、アトムは人間としての成長を遂げていきます。人を騙さない、欺かない、傷付けない、まるで、全く醜い部分を持たない人間のような存在として。
人の数倍の力を持ち、悪意という感情を持ち合わせず、有り余る力を平和のみに使う命無き人工知能ロボット。エゴと欺瞞に満ち、人を傷付け、陥れる人間。前者と後者では、どちらに存在価値があるというのでしょう。

私がアトムという存在を見ると、酷く嫌悪感にかられます。
それは、私が人間臭さという部分が好きだからです。
私は人と接する際、人の持つ闇の部分を重視します。性悪説という言葉をご存じでしょうか、人は埋まれながら本質は悪であり、本質が悪であるからこそ、人は理性を持って善なる行動を取る、というのが性悪説です。その逆で性善説と言うのもあります。私自身、この二つの説を是とはしてはいませんが、必要悪というのは是としています。悪があるからこそ、善という存在が可能になる、というのが必要悪です。人は悪意のみでは存在できませんが、善意のみでも存在できません。善という存在が可能なのは、それに相反する悪という存在があるからなのです。悪がなかったら、善という感情は認識する事すら不可能な物でしょう。昼があるからこそ、夜がある。生まれるからこそいつかは死ぬ。得るからこそ失う。その葛藤するバランスの中でこそ、人間性という物は存在するのではないのでしょうか。
人の闇というものは、善なる部分を秘めているからこそ存在するのです。逆に善意に満ちた人間は、その内に必ず闇を秘めているのです。故に私は人の闇の部分に注目します。その人の本当の素晴らしさとは、その人の闇を知らずして知る事は出来ないからです。

アトムという作品は、一貫して大きなヒューマニズムの階層をオブラートした作品ではないのかと思います。人間という存在が悪で、その人間が生み出したアトムこそが、人の善なる部分を持ち合わせているのです。そしてそれがロボットなのは、人間の汚い部分を皮肉めいて描写したかったのではないのでしょうか。
故に、私はアトムという存在に嫌悪感を覚えたのでしょう。人と同じ心を持ち合わせながらも、悪意という人間性が欠落した存在であるアトム、しかしその存在は、多くの人間に希望や勇気を与える事でしょう。現にそのような描写が作中で多く登場します。いわばアトムとは、人のエゴが創り出した虚像なのです。故に、私はアトムという存在に嫌悪感を覚えたのです。

手塚治虫の作品はヒューマニズムとも言われています。人間不信なのではないかなどとも言われ、一部では嫌煙されていたりもします。
そんな彼が、何故にアトムという存在を描写したのでしょうか。単なるヒーローを描写したかったのでしょうか。自らを貶める人間という存在にとって、人間性と持つ希望に満ちた存在を描写したかったのでしょうか。
私は、どれも違うと思います。私は、アトムという存在を置く事によって、人間の持つ闇を照らし出したかったのではないかと思います。そして、人の持つ闇を浮き彫りにする事により、人という存在を説いているのではないのでしょうか。
手塚治虫という人間は、人の闇を描写する事により、人の持つ光を模索しようとしていたのではないかと思います。

仮にアトムが人間に不信感を抱き、憎悪したとします。皮肉にも、それはアトムを一層人間臭い存在になった事を意味しているのです。
手塚治虫は、アトムという存在を、一体どんな心境で創り上げたのでしょうか。皮肉にもアトムは、手恷≠フ死語に彼の意図に反しデフォルメされ、お茶の間を濁すヒーローと一人歩きするのです。


企画原案が進まない_| ̄|○
 2003/11/07 - Fri  [THE SIN]

私は人より優れる事が好きです。

私は人を踏み台にします。

私は人の痛みを見て見ぬふりをします。

私は人の不幸を喜ぶときがあります。

私は人の幸福を妬み嫉妬します。

私は自分より劣る者を見下します。

私は自分の信念を貫く為に犠牲を出します。




懺悔。

懺悔という行為ほど倫理から逸脱し、にも関わらず人道的な行為はない。

身を以て己の痛みを知り、犯した罪を仏にうち明け、悔い改めると共に罪の浄化を願う。

元々懺悔とは、サンスクリット語のKshama(クシャマ)の音訳である「懺」と、中国語で人の許しを請うという意の「悔」とが結びつき生まれた仏教語であり、仏教語では「さんげ」と読む。

カトリックで言う、後犯した罪を聴罪司祭に告白し、悔悛の秘跡により罪の許しを得ようとするもの行為、confess(告白)、これも同じ行為といえよう。

その多くが特定の信仰を持たない我々日本人にとって、「懺悔」とは、教会の小さな懺悔室にて罪人が司祭に向け、壁越しにてその罪を告白し、許しを神に請うといったイメージを思い浮かべるであろう。


神は寛大である。

己の罪を認め、悔い、それを告白する罪人には、神は如何なる罪もお許しになるであろう。


私は特定の信仰を持った者ではなく、つまりは無神論者であるが、だからと言って懺悔というこの行為を無意味なモノであるとは思わない。

何故か。

人が自らの罪を償うには、その重さを知り、痛みを知る事から始まる。
懺悔とは、いわばこの行為を儀式化したものと言えるであろう。許しを請うのではない、己の犯した罪と向き合うのだ。


カトリックでは、人は生まれながらに背負う罪、Original sin(原罪)というものがある。

神は、最初の人間であるアダムとエバを創られた後、エデンの園に住まわせました。そして神は、一つの戒めを与えました。

「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

しかしアダムとエバは堕天使サタンの「善悪の知識の実を食べれば神のようになれる」という誘惑に負け、その実を食べてしまったのです。
そして人間は善悪を知るようになりましたが、罪を犯した人間と完全な聖なる神との関係を自ら絶ってしまうことになったのです。
アダムとエバはエデンの園を追放され、人間の世界に罪と死が入り込むことになりました。以来全ての人間は、アダムが犯した原罪を負ってこの世に生まれ、生きていくことになったのです。

これが、カトリックで言うOriginal sin(原罪)である。
人は原罪を背負いこの世に生まれる、この概念はカトリックに限っての事ですが、人は善悪を知るからこそ罪を犯す、これは確かな事。

罪とは、人が創った人の為の社会での概念。
人の概念に善と悪があるからこそ、罪という概念が存在するのだ。

子供の頃、必死に虫取り編みで追いかけた昆虫。「誰も見ていないだろう。」と、交通マナーの違反。陰口や悪口など。
大なり小なり人はその人生の中で、必ず罪を犯す。しかし、その些細な罪の大半は、法律で裁かれる程度のものでは無い。
法律を犯した行為を罪と定義するのなら、法律でさばかれる事のない罪は、罪ではないと言えるのか。
人律するのが人であれば、己を律するが己自信なのもまた必然。

懺悔とは、法の概念に囚われず、己の善悪で己を律する行為なのだ。
善悪を判断し、己の犯せし罪の重さを知り、その痛みを知り、その償いを模索する。この行為こそ、人の取るべき道の現れ、すなわち人道ではないか。
法により裁かれる罪への罰など罰ではない。罪による罰とは、己が己自信を裁かずして成さず。

しかし、罪の意識とは千差万別。
人それぞれの善悪があるように、人それぞれの罪への認識がある。
人は気付かぬうちに他者を傷付ける事もあれば、気付かぬうちに人を追いつめる事もある。自分が良しとした行為であっても、他者が必ずしもそうであるとは限らない。
同じ行為をしても、その罪の実感は人それぞれである。

懺悔とは、つまりは己の解釈によって罪を定義する行為とも言えるのだ。

罪の重さとは、己が感じる重さ、他者が感じる重さ、被害者が感じる重さ、様々である。しかし結局のところ罪の重さなど、己が感じる重さ以外は理解し得るものではない。
他人の悲しみなど、その人の人生を一貫して体験しない限り、自分と置き換え客観的に実感する程度でしか知り得ないのだ。

故に、法というものが存在するだ。

法は、万民に、平等にその義務を課せられる。法とは、罪を裁くだけに存在するのではない。罪という曖昧な概念を、秩序を維持する為、形式上定義づける為にも存在するのだ。

法は秩序であり、法は罪を裁くものではない。

法を犯すとは、秩序を乱すという行為であり、法を犯すとは、必ずしも罪を犯すという行為ではない。

己の罪を、法で問うな。己の罪は、己で知れ。



私は懺悔する。

しかし、それは神に対してではない。己自信に対してだ。

そして、己自身が救われる為だ。私が懺悔しても、私以外の誰も救われる事はない。

自分しか救えないこの行為は、倫理的と言えるのだろうか。


カレイドスター、2期も面白いぞオイ。
 2003/11/10 - Mon  [殴り書いてみようか]

皆さんお元気でしょうか。
ちゃんとご飯食べていますか?しっかり寝てますか?無理しすぎて体調壊してませんか?エロゲの企画原案とか必死に考えてませんか?100円ショップに電池一品だけ買いに行くのが恥ずかしくて、行く行かまいか自宅で30分以上悩んで、「フェイクで他にも何品か一緒に…、いや、それは俺のプライドが許さない!」とか悩んだ挙げ句買いに行って、ポーカフェイスで「お願いします。」とか照れ隠しで言ってもレジには電池一品だけで、でもレジの店員が間違って後ろに並んでた人の買い物カゴと一緒に会計しようとして、結局「違います!これだけです!」と泣きながらフォローするハメになったりしてませんか?その電池の使い道がヘッドホンで、自室でエロゲやる際の音漏れ対策とかじゃないですか?自室でファンシーララを見ていたら親がノック無しで乱入してきて、しかも丁度「華麗なる変身〜」のシーン、即死、とか痛い十字架背負ってませんか?


いや、俺の事じゃないですから。



最近の事。

エロゲ企画原案に頭を悩ましている。

別にエロゲと決まった訳じゃなくゲームを作ろうって事なんですが、何せ俺が企画&シナリオですので「エロゲ」と言ってる次第で。普通にゲームを作るかエロゲになるか、企画担当故に俺が握っているという訳ですよ。別にエロゲという訳ではなく、演出上エロティックな描写も入れたいと思っている訳でして、ほら映画とかでエロシーンがあっても目的はエロでは無いじゃないですか、それみたいに。
シナリオの方はですと、かなり苦戦してます。はじめに考えたのはイラスト担当の人の絵柄と余りにもイメージがマッチしなかったのでボツに…。現在は、何となくイメージが纏まってきたって感じです。「こんな設定を入れるか」とか「この演出は絶対に組み込みたい」とか「舞台はこんな感じの方向で。」とか、散り散りに思いつくままメモで、骨組みの方は全然といった感じです。
ある程度まで思いついた原案を一度提出して、それが通ったら資料をかき集めて詳細な設定を練り、輪郭をあらわにしていこうという方向で。

でもって具体的な内容はですと、何となくイメージだけは出来上がってます。
時代背景は現在日本の学園モノ。といっても学園恋愛アドベンチャーとかそういう路線とは皆無でして、かなり特殊な方向性で行きます。日本は日本でも、ヨーロッパのバロック様式を意識した建造物が建ち並ぶ異質な感じで。因みにバロックとは、ポルトガル語で「歪んだ真珠」という意味を持つルネサンス以降に流行したヨーロッパの様式です。不調和、繊細にして過激、まるで一つの形式化した風潮を拿捕した15世紀のヨーロッパ国民が、そのタガを急激に外され、勢いを余らせ駆け抜けた一瞬の火花の結晶、それを作風、演出と結びつけていけないかなと。
あとゲーム要素では、剣とか何かを集めていきながらシナリオ進展していく感じで。その設定も、欧州神話、ギリシャ神話、聖書、占星術、二十八宿などの、何らかの設定を盛り込んだモノに。

学園では「真理」と呼ばれる謎の組織が暗躍しています。詳細はまだ考えてません。イメージのみ。

因みに元来の日本文化を拿捕し独走的な世界観を確立する為、女学生の制服はズボンです。試行錯誤して萌えてくれ。

そんな感じで断片的にイメージだけ先走ってます。俺の仕事多すぎ。


因みに今日の日記は普通に殴り書きです。故に普通にネタとかオチとか用意してない…。

暫くは、この調子で行くかな。いや、最近あれで、日記病。日記を書くに連れ、「以前よりも強力に!以前よりも巧妙に!」と思う余り、日に日に長文日記。その結果、日記が書くのが苦痛に。でも手を抜くのはポリシーに反する。ならば、方向性を変えてみようかと。一時的ですけど。


っていうか実はまだ届いてません。
 2003/11/17 - Mon  [逆転ホームランやー]

ニューマシン組みました!
今の時代あれですよ!CPUが1GHz越えてるのが当たり前な時代。最近買った人なんか、当然2GHz近くの鬼マシンじゃないですか。数年前に1GHzのPen3を使ってた人だって、「そろそろPen4にしようかな。いや2Gのセレロンでもいいか。」ってな具合でマシン組むじゃないですか。そんでもって、ニューマシンの体感速度に「お?早くなったな。」って思う訳ですよ。


け、甘いね!

俺は言いたい、そんな程度で驚いては行けない。微々たるスペック向上で体感速度に驚愕する程度じゃ、技術進歩ってモンを新の意味で体感してるとは言えない。

新の意味で技術進歩を体感するってのはな!





400MHz → 1.83GHz (俺の場合)



K6-II 400MHzAthlonXP 2500+(BARTONコア)
FSB100 → FSB333
MMX MMX/SSE/3DP

クロック数の単純計算だけでも4.5倍。SSEやら色々と考慮にれると、実際の体感速度は20倍以上は堅いかと。(後でベンチで計ってみます)







普通にあり得ない。


まず、マシンがどのくらいの進化を遂げるかというと!


・FLASHが普通の速度で見れる。
・FLASHを使ってるページを開いていてもタイピングが出来る。
・Painterの筆ツールが普通に動く。
・お絵かきBBSで、線を引いてから実際に描写させるまでの2秒のタイムラグがない。
・画像ファイルをクリックしてビューアーが立ち上がるまでに30秒以上かからない。
・そもそも同時作業が出来る。
・NetscapeやMozillaが起動と同時にハングしない。
・作動環境が推奨CPU 500MHzのソフトが動かせる。
・600MBのファイルを圧縮しても半日かからない。



凄い!凄いパワーだ!


「え、当たりませじゃないの?」って思った人、当たり前じゃないんです!





俺には。


こ、これが技術進化というモノなのか!こんなにも!時代に取り残されていたのか。


因みに、流石にAthlon64とかハイエンドPCは組めませんでしたが、俺のウンコPCを散々コケにしてくれた方々の所有マシンのCPUを聞いて、それより性能の上という基準で組みました。



は?何そのマシン?遅っ!!





巫子:「ちょっと前は400MHzだった癖に・・・この人やっぱり歪んでるよ・・・。」


そして次回の日記のオチへと続く。
 2003/11/22 - Sat  [karman]

業。


仏教の基本概念に業(カルマ karman)というものがある。

因果応報、現世によっての行為は業となり、死しても消える事無く来世に受け継がれ、果報をを迎えん。

業(カルマ)とは、本来は行為の意である。業(カルマ)には善業と悪業の二種類があり、悪い事をした人は、その行為が悪業となり来世にて自分に返ってくる。良い事をした人間は、その行為が善業となり来世で幸運になれる。

分かりやすく云うと、環境に恵まれず貧しい一家に生まれたとします。これは、前世での悪行がが業(カルマ)となり、前世から現世に受け継がれ影響しているせいなのです。
そして貧しさの余り、窃盗や強奪といった罪を重ねたとします。しかしその行為は悪い業となり、結果的に来世でも貧しい生活が訪れてきます。
しかし貧しくても一新に働き、決して悪行を犯さなかった場合、それは善い業となり、来世では幸せになれます。

業(カルマ)とは、連続的に働きかける生命の傾向性の様なもの。

人を憎めば人に憎まれ、人を裏切れば人に裏切られ、人を殺めれば人に殺められる。
己の業は己に帰す、因果応報、報い生きよ、救いとは求めるだけにあらず。

私は仏教徒でも何でもないので、「現世の悪行は来世に返ってくる」とかの輪廻転生を基とする概念は信じてませんが、業という概念は、非常に倫理的な概念であると思います。
「来世」とか「前世」とかの単語が混じってくると宗教的な印象を受けますが、実は我々の生活の中にも、シッカリとこの業(カルマ)の概念が根付いているのです。

それは、「自業自得」という概念。何かをすると、それが自分へと返ってくる。全ては自分の招いた結果。

「余り人の悪口を言うな、そのうちに言われる立場になるぞ。」
「嘘ばっかついてると、騙された時に何も言い返せないぞ。」


人はどう生きるべきか。

仏教の起源は、紀元前遥か昔、インド北方に生まれたゴータマ・シッダールタという人物が始まりです。
彼は非常に裕福な家柄に生まれ、宮殿にて王子として贅沢な毎日を送っていました。
しかし彼は裕福ではあるが、それが幸せであるとは思えませんでした。

幸せとは何か、人とは何か、生きるとは何か、どうすれば、何をすれば人は幸せになれるのか。

彼は全てを捨て、その真実を追究する長い旅に出ます。
そして6年の修行の結果、菩提樹の下で悟りを開きます。その後彼は、自らの教えを人々に広めるべく、長い旅に出るのです。

そう、仏教の起源であるゴータマ・シッダールタという人物は、宗教の教祖でもなく、妄想家でもなく、ただ「人はどの様に生き、どの様にすれば幸せになるのか。」という真実を模索し続けた哲学者なのです。

そして彼の教えは教徒達の手により、長い年月を経て今の仏教の形となったのです。
仏や菩薩といった仏教の非常に宗教的な部分は、彼の死後に教徒達の手によって築かれたものです。

2500年前、人が生きるという事を、一生をかけ追求し続けた一人の男。
その教えは、今を生きる我々の生活の中にしっかりと根付いているのです。

「そんなの当たり前だろ。」という事があります。
しかし、あなたが「当たり前」だと思っている事は、長い年月をかけて当たり前になったのです。

私は教徒でも何でもありませんが、仏教というものは好きです。
それは、その教えの根本にあるものが、非常に倫理的であるからです。
現存のユダヤ教を母体とするキリスト教とは根本的に異なり、元々は宗教ではなく哲学である所以、宗教的なベールの下には倫理的思想が息づいているのです。

神様が居るか居ないかなんて、私にはどうでもいい事です。
だからといって宗教という概念そのものを否定せずとも、そこから学べる事も多く存在します。

否定しよう、そしてチョットだけ肯定すればいい。


神とは内に求むるもの、神は人を越えず、人は神を越えず、しかし両者は対等にあらず。(By MF


補足だけで日記が終わってしまった_| ̄|○
 2003/11/23 - Sun  [法]

さて、昨日は何故か仏陀の話になりましたが。
仏陀(ゴーダマ・シッダールタ)は宗教家ではなく哲学者だと言いましたが、何故なのか少し補足しておきます。もっとも高校辺りの教科書に載ってるとも思いますが。

今日は仏陀=ゴーダマ・シッダールタで話を進めますが、仏陀(ブッダ)とは「悟りを開いた者」の意です。
その悟りを開いた仏陀、彼が大勢の人々に説いた法で、有名なものを少し説明していきたいと思います。
分かりやすいように、かなり簡単に要約して説明していきます。




四諦(したい)
人生とは、あらゆる苦に満ちている(四苦八苦という概念)、その苦を滅する事で人は幸せになれる。その方法としての教えが四諦(したい)である。
四諦(したい)とは、苦諦(くたい)集諦(しったい)滅諦(めったい)道諦(どうたい)の4つの事。


1.苦諦(くたい)
この世には、災害・人間関係・疫病・飢饉・貧困・死老い・不安など、あらゆる苦が存在する。それを認識する事。

2.集諦(しったい)
「集」とは「原因」の事。この世に存在する苦には原因が存在する。その原因を追及し、考察して反省する事。

3.滅諦(めったい)
苦悩とは原因が存在し、それは人の心の持ちようによって滅する事が出来る。欲望や執着心だけが増大していては、返って人は問題を増やし苦悩する。それを知り、心の持ち方を切り替えなさい。

4.道諦(どうたい)
苦を滅するということは、苦を滅する方法を模索し努力する事だけではない。正しい物事の見方をし、苦の原因を根本から断つ事が大事である。(問題解決ではなく、問題発生を抑制せよ)



・八正道
八正道とは、この世の苦を断つ方法としての、八つの正しい方法の事。この「正しい」とは、「真理にあった」という意味です。
正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の8つの八つの方法。正しい行いや捉え方は、苦痛の種の発生を抑制し、物事をシッカリと判断できる人間になる事が出来る。

正見ー正しい物の見方
正思ー正しい物の考え方
正語ー正しい語り方
正行ー正しい行動
正命ー正しい生活
正念ー正しい思念
正定ー正しい心の決定
正精進ー正しい努力




以上が、仏陀の説いた四諦八正道です。かなり要約しましたが。

どうでしょう。皆さん思いますよね、「当たり前の事なんじゃ?」と。
しかし、当時の人々にとっては当たり前じゃなかったんです。そしてこの教えが、現在の我々の思想にどれだけの影響を及ぼしたのか、はかり知れません。
これが、仏教の根本にある哲学です。明らかに神話のような幻想的な内容は含まれてはおらず、そして純粋な哲学ではないでしょうか。


仏教におけるとは、釈迦の事です。釈迦とは、ゴーダマ・シッダールタの事です。
彼は死の間際、このような言葉を残しました。

私を拝んではいけない。大切なのは私の存在よりも、私の説いた法である。



仏陀の教えは、当時の人々にとっては違えど、今の私たちの社会では当たり前な事です。

しかし、その当たり前な事を、私たちは出来ているのでしょうか。


今年も悪夢の年賀状印刷_| ̄|○
 2003/11/24 - Mon [ネタ十字架]

新マシンの環境移行の為に、以前焼いたCD-Rを漁ってるんですけどね。
いやあ、やっぱり出てくるモノですねえ。地雷ってヤツは。

ふと手に取ったCD-Rのラベルには

「デジカメ動画」

いや、友人がデジカメで撮ったヤツですし、そうそうネタなんか転がってないと思いましたよ!
甘かった。


1つめ。
友人3人で栃木「いろは坂」に行った時のですね、友人がコーナーでドリフトしてるのを、俺と別の友人の2人で撮影。



キキキキキーーーー!!

友人:「おお!イイ感じじゃねえ?」
MF:「あぶねって今の!」

キキキキキーーーーーーー!!

プゥ。(屁)

MF:「…スマン。」
友人:「うわバカ、こっち向いて風吹いてるって!!」
MF:「くせぇーーー!マジくせぇ!!」




衝撃のマル屁映像_| ̄|○



2つめ

酔っぱらいハゲ親父1:「ガハハハハハ!!」
酔っぱらいハゲ親父2:「うはははははははははは!」



おい、これお前んとトコ(友人)の葬式後の飲み会じゃねえかよ!



他にも、みんなでボーリング行ったときの動画とかあったんですけどね。何故か俺の挿画だけ狙ったようにガーター場面ばかり。「撮るな、撮るんじゃねえ!」とか言ってるし_| ̄|○

あ、でも、凄い格好良く取れてるツーショット写真もありました!

俺と、友人の彼女と。





きっと、世の中全てネタに違いない。



ネタとは罪深いものだ。
一つのネタを犯せば、業という十字架を背負う事となる。

私は、この事実を嫌と言うほど実感した事件と出会った。
それは数日前、友人と電話していたときである。

「携帯が壊れた」と聞い暫経つ友人Y、私は何気なく「あいつ、そろそろ携帯直したかな?」と思い、電話を掛けてみた。



トゥルルルルルル・・・ガチャ。
「はい、○○ですが。」(知らない女の人の声)
ビクッ!(突然の出来事にテンパる)
「あ、俺は!じゃなく私は大学時代の友人の○○ですが、Y君は居ますかい!?」





間違って実家の方に電話かけた。

「居ますかい!?」って…。変な人に思われたに違いない。


その後、所用を伝えた後に雑談をしてたんですけどね。
この友人、パソコンとかインターネットとか無縁の人なんですよ。っていうか俺のリアル友人はネット繋いでる人ほとんど居ません。

で、話してたら

「そういやPS2安くなったな。」
「あー、なったな。そろそろ買うかな。でもゲームやんねぇしな。」
「だな。」
「あ、そういやこの前ゲーム屋で、PS2のすげぇゲーム見たんだよ!」
「なんだ?」
「なんかよ、男しか出てこない恋愛ゲームでよ!あれマジで本物だって!」







炎多留・魂のことでは……。


「な、何それ…、凄そうだな…。」(←注:ネタで炎多留レビュー書いた人)
「あんなモン誰がやるんだっての!(笑)」
「…でも、…ネタでプレイする人は居そうじゃねえ?」
(←注:ネタで炎多留レビュー書いた人)
「ネタでもやらねぇって!プレイしたヤツはバカだバカ!(笑)」
「…ハハハ。」
(←注:ネタで炎多留レビュー書いた人)









もう忘れさせてくれ_| ̄|○



まだ付きまとうというのか。この業は、何時消えるんだ。

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